主幹コラム〈2019年〉


2019-12月号

即位も条例も報告すれば受理される

▼令和元年の12月を迎えた。11月には、天皇が即位を天下に宣明されたことを天照大男神など神々に報告して、正式に令和天皇となるための全ての手続きを終えた。そして、後世「令和時代」と呼ばれる時代が始まったのだ。平成天皇、現上皇様はさぞ肩の荷を下ろされた思いだろう。激務を急にやめられて、何か差し障りがないかと心配になる。庶民なら、湯治場にひと月も籠って骨休めをするところだ。伊豆にも那須にも御用邸にはきっと温泉があるだろうから、行ってらしてください。

▼一方、令和天皇はもはや〝天皇顔〟になっておられる。雅子皇后も、落ち着きと自信を取り戻されているようで嬉しい。過日、ローマ法王が見えられた時に雅子皇后の姿がなかったのは、立て続いた一連の行事にさすがにお疲れになったのだろう。…そんな風にわれわれ国民は天皇皇后両陛下を、そして上皇様たちのことをまるで身内のように一喜一憂する。さらに象徴としてのお役目を果たされている姿をみていても誇らしい気持ちになる。最近、とみにそんな風に思うのは、今の政権が余りにも見苦しいことと無関係ではない。

▼さて、天皇は即位したことを国民や神々に、宣言されたり報告されたりするが、国民や神々はその適否や合否を審査して認可、許可するわけではない。伝統や皇室典範に則っていれば、「たしかに宣言や報告を聞きましたよ」と認める、認定するだけだ。認定されたらその報告の内容通りにすればいいし、努力目標なら達成するよう努めればいい…と、実はこれは、今回の改正市場法の考え方と一緒なのである。基本方針から外れない限り、当事者間で合意されていれば、条令などの決まり事は、報告すれば基本的には受理される。

▼ただし重要なことは、決まり事を論議、検討した経緯はきちんと記録して保存しておくこと。勝手に廃棄できるのは、今の安倍政権だけだ。

 

2019-11

世にあふれる不安感が闇に鬼を見る

▼なにかと世情が世界が不安定だ。いつ、何どき、何が起きるか分からない。世界秩序を壊して紛争の火種と諸悪を作り出している張本人は、トランプに相違ないが、恐喝まがいに世界制覇を目論む習近平、完全・終身独裁体制に邁進するプーチン、それぞれが独りよがりで自分勝手、振り上げた拳を下ろせなくなっている朝鮮半島の金・文2か国、EU離脱で生きるべきか死すべきかと手玉に取るジョンソン、イランはキナ臭いし、指導者を殺害されてISの報復テロもありうる…。と彼岸の話だけではない。これまで、台風や洪水などの自然災害に比較的疎遠だった地域が、未曾有の大きな被害を受けた。不慣れも手伝ってダメージは半端ではない。こうした災害が増えていくとも予想されるのだ。世に不安感が増殖している。

▼こうした国内の状況や国際情勢が、国土強靭化、安全保障を理由に、天井知らずの国債発行(借金)を安倍政権に許してしまう。防衛相、国土省が金をじゃぶじゃぶ使えるようになるから、公明党もさらに与党の盤石化に貢献する。自民党がますますそっくり返り、萩生田のようにますます国民を〝下々の者〟と見下すようになる。ただでさえ不安感は人を卑屈にさせる。はい、私どもは〝身の丈に合った〟生活をいたします、〝税金はお好きなように使ってください〟等々自ら卑下するようになる…。

▼ま、戯画じみてはいるが、不安定感や不安感は他からコントロールされやすいし、カリスマへの希求にもつながることも事実である。西洋でも〝スープは飲むまでが一番熱い〟というし、日本でも疑心暗鬼とか〝山より大きな猪は出ぬ〟ともいう。不安感がもたらすもの、その本質などを言い当てている。卸売市場業界では、それに当たるのが改正市場法に基づく地元自治体の条例改正問題だ。卸売市場制度を形成してきた規制はほとんどなくなり、まるでデベロッパーがショッピングセンターを作りテナントを募集する、くらい軽くなる?

▼そんな経緯から、いま東京都の条例改正にかかわる論議で、これまでの「卸売市場整備基本方針」に当たる〝事業計画〟がどうなるのか、全国の市場業界から注目を一身に集めている。まず〝幽霊見たり枯れ尾花〟といったところでしょうか…。

 

2019-10月号

問題解決のため協議開始する努力を約束?

16歳のスウェーデン人、グレタ・トゥーンベリさんが、約60カ国の首脳や閣僚を前に、「あなた方は、私の夢や私の子供時代を、空っぽな言葉で奪った」と演説した。かなり激しい口調だった。〝あなた方〟とは、気候変動問題になんら実効性ある行動を起こさないアメなど主要国のことで、〝私の夢〟とは気候変動に不安に陥らず安心して生きていけること、〝私の子供時代(を奪った)〟とは、〝本来は学校に通って勉強しているはず〟だが、16歳という子供が〝環境保護活動〟をせざるを得ない現状をいう。もちろん、〝空っぽな言葉〟とは、「〇〇問題を解決するための協議を始めるよう努力することで、完全に意見の一致を得た」など、わが晋三クンが得意な言葉のことである。

▼トランプは、いつものように皮肉ではぐらかし、〝病気(アスペルガー症候群)だからしょうがないし…〟といったニュアンスを隠さなかった。しかし、彼女自身はすでにカミングアウトしており、さらに「アスペルガーだからこそ、人とは違った視点で世界が見れる。もし私がアスペルガーでなかったら、世界を『外側から』見れなかったでしょう」といった秀逸なコメント返し。もともとスウェーデン人は、「几帳面・真面目・シャイ・慎重派・個人主義・自立心・自然を愛する・即行動・計画性・慢強い・職人気質」などといわれる。彼女は、こうした気質のベースがあって、それを強調するかのようなアスペルガー症候群なのだ。アスペルガーにとって、言葉はそのまま「事実を伝達する道具」なので、相手の言った言葉を文字通りに受け取ってしまう…それって〝病気〟なの?

▼いま言葉が軽い。いうまでもなく、言ったことをやらない、嘘でごまかす、脅かして黙らす、「真摯に」を「適当に」の意味で使う、自分の都合のいい言い方に置き換える、言葉や会話を覚えていない・記録を書き換える・勝手に破棄するなどを忖度させる。「政治家は言葉が命」といった先人訓は、どうなった?ともに政治家の血筋のお二人さん。

▼そんなあなたを絶対、許さない!

 

2019-9

親の因果が子に報い…ってアリ?

▼個体獲得形質は遺伝しない、と習った。個体の誕生から死ぬまでの一生の間に獲得された性質や能力は、親から子へ伝えられる遺伝情報に変化をおこさない。つまり遺伝しないと考えられている。ただし、たまに祖父母の性格が自分に遺伝する〝隔世遺伝〟はあるように感じる。祖父母は4人もいるのだから、だれかの性格や能力に似ていることはあり得るし、自分が祖父母を知るのは自分が生まれた後であって、絶対に自分の父母を生む前にどんな性格だったのかは、絶対に知ることはできない。永遠のパラドックスである。

▼ところが、最近の研究では、個体が獲得した形質も遺伝するらしいという、ショッキングな成り行きなのだ。つまり、人や生物は子を作るまでなら、次の世代に何を遺伝させるかを、確率はともかく、意図的に操作できるということになる。医者の子供も医者になる確率が高いが、それは単にカネがあるからだけではない、ということか。落語や講談での口説、「親の因果が子に報い~」は、実は本当のこと?なら、大変なことも同時に起こる。論理的には〝優生保護法〟がゾンビのごとく蘇生する可能性だってある。

▼ただし、個体獲得形質の遺伝の有無にかかわる論争の歴史は古い。ギリシア時代のヒッポクラテスやアリストテレスも、4000年近く前から関連した議論をしてきた。ということは、また「やはり獲得形質は遺伝しない」になるかも。しかし、いま私たちはが、ここに居るということは、人類が発生してから連綿と命と遺伝形質を伝えてきた結果だ。その数、遺伝子は〝天文学的〟な数字であり、どんな種類の遺伝子が伝わってきたとしても不思議ではない。

▼親の遺伝子が優勢なのか劣勢なのかの問題を含めて、遺伝子情報がどうであれ、自分の人生は自分で決めていくしかないのが現実だ。命ははるかなる旅をしてここに至るも、どうあるべきかは自己で実現するもの。

 

2019-8

組織改革は選挙でなく外部優秀人材の投入を

▼投票率が上がればいい、というものではないことは知っている。しかし、50%を切るということは、政治に無関心というよりは、無力感や敬遠、顔を背けるといった状況なのではないか、と疑う。過去最大の期日前投票は確信的な投票が多かった証だが、比例区の投票が経て、積極的自民党支持は明らかに減っている。が、恥ずかしげもなく、勝てば官軍の人だから、さらに無力感は蔓延していくに相違ない。あとは、年内にあるらしい衆議院解散選挙に運命を託すしかないか…。

▼今回の選挙で、駅や学校などに期日前投票場を増やした県が投票率を上げた。この場合は、10歳台など若い層やサラリーマンの投票率向上につながった。選挙権は憲法で保障された権利なのだから、全ての自治体でも実施して機会の均等とすべきだ。若年層からは、ネット投票できれば、即投票するのになぁ…などと聞こえてくる。こんな時代、若年層のみならず、高齢者など多くの〝投票難民〟がいるのだ。移動投票車といった、工夫も必要になる。買い物や託児所と同じ発想が求められる。

▼義務なら「納税」などは、いまネットで行える。権利は、主張しないと蹂躙されも文句は言えない。が、投票にいきましょうとの大合唱はあっても、具体的で有効な対応策を推進しているケースは、意図的と思われるほど少ない。また、過半数が棄権するという事態をどう見るべきか。ひょっとしたら、過半数に達しない選挙は、無効かも知れない。選挙といえば、青果業界には、かなり多くの関連組織や団体がある。6~7月はそれら組織の総会の時期だ。任期満了なら選挙と称して〝順送り〟の人事が決まるのがこの業界の常識。それで、組織として斬新な事業や相互扶助、啓発運動などができるのだろうか。

▼組織改革に踏み切るなら、選挙ではなく、外部から優れた人材を起用することだ。常勤が望ましいが、非常勤でもいい時給制でも、日当性だっていい。集団の強みは、小分けにすれば、資金が捻出しやすいことである。

 

2019-7

国民を無気力にしたのは誰だ

▼7月は、参議院議員選挙である。6月後半は、あれほどエラそうにしていたアソウくんも、あまり口をひん曲げないようにして、いくらかお行儀がよかった。どうやら自民党与党は選挙に勝つためには、国民をいたずらに刺激しないほうがいいと判断したらしい。人はカッとするとアドレナリンが分泌する。鼓動が早まり血管が収縮するから血圧が上がる、さらに血糖もあがって臨戦態勢、攻撃的になる。選挙前に国民をカッとさせるとマズいと思ったのだろう。

▼そんなときは、アベくんのように、のらりくらり同じことを繰り返しつつ、論点を微妙にズラして時間を稼いでウヤムヤにしてしまえば、人はウンザリするだけでカッとはしない。いま、日本国民はあまりカッとしない。〝怒り疲れ〟てしまったのだ。アドレナリンが分泌される結果、急速に上がった血糖値を下げるためのインスリンが、ただちに出動して〝緊張緩和〟する。これが頻繁に繰り返されると、結果、無気力に陥ってしまう。「あまり怒りすぎて気が抜けてしまった」というのがそれ。

▼人が、不誠実、いいかげん、だらしないなど邪悪な状況は、それを見る人の方が傷つく。だれしも傷つくのはいやだから、見て見ぬふりをする。もう見ようとしない。無関心とは防衛本能からくる緊急避難という〝仮面〟なのでは…とさえ思う。無関心を装う、ともいう。無気力、無関心に陥ってしまうと鬱になりがちだが、それが〝引きこもり〟の引き金となったり、逆にひたすら〝快〟を求めるようになる。人間を含む一部の動物は、快感によって、脳にドーパミンというホルモンを分泌する。ドーパミンが欲しいから、機会とカネがある人は覚せい剤や麻薬に走るが、普通の人は〝癒し〟を求める。ネコ喫茶が繁盛したり、動物ものの番組が増えていることとも無関係ではない。

▼よく〝ストレス発散のため〟などというが、その〝仕組み〟かくにも複雑な構造になっている。長期政権は、腐敗や驕りをよび、結果、国民を無気力にする。

 

2019-6

知らぬ間のマインドコントロール

▼令和元年が2か月目に入った。令和天皇皇后両陛下は、本格的に公務に取り組み始めた。雅子皇后も精力的、積極的に公共の場にお出ましになる。こうなると、公務が優先する生活となるから、「ものおもふ」暇もない。平成天皇の〝在りよう〟を見てきた皇太子は、相当の覚悟で臨まれているのだろう。令和に入ってしまえばコッチのもの、と今更ながら、元号の令和や上皇の〝お言葉〟や元号の決定過程で、だいぶ政治圧力や忖度があったらしい…といったハナシも。動き出してしまった令和に、もう上皇も天皇もどうしようもない。

▼政治を恣意で動かし、ナニもカニも多数で押し切る。恣(ほしいまま)とはこのことだ。ウソも誤りもマズいことも全て、知らない、忘れた、破棄したと強弁で隠蔽。〝しらばっくれる〟ことを〝論破〟いう。選挙権を得て50年、これほど高圧的で強権的、無教養で知能指数が低い総理・政権を初めて見た。シンゾーもトランプもジョンウンも、子孫には視聴禁止したいほどの恐怖政治だ。トランプ、ジョンウンは見てわかるが、シンゾーは裏でヤッてるだけ始末が悪い。それなのに、なぜこれだけ支持率が高いのか。

▼「ストックホルム・シンドローム」と呼ばれる現象をご存じだろうか。昔、ストックホルムの銀行で人質事件があり、長時間拘束され脅され続けた人質たちが、次第に犯人の味方をするようになる、という異常心理である。そんな状態は、人質事件といった極限状況でしか現れないのでは?と考えるかもしれないが、実は日常の市井の普通の生活を送っていても、間断なくプレッシャーを受け続けると、知らずに陥っていることがある。

▼無意識のストックホルム・シンドロームが、もっとも恐ろしい。知らない間に、自分が何かの加害者になる、信条とは真逆のことをしている。そうだとしても、勘違いしたのは自分の責任で、他人からの影響ではない…と。しかし〝忖度〟などは最も代表的事例であるし、果たして本当ですか?他に適当な人がいないから…という理由。

 

2019-5

皆んなで一緒に楽しむという精神生活

▼ちょうどいい区切りというものはある。4月まで、さんざん〝平成最後の〇〇〟と盛り上がってきたが、5月からは〝令和初の〇〇〟である。〝二度おいしい〟大きなチャンスだ。日本人はいま、なにかというと盛り上がりたがる。妙に盛り上がるハロウィーンなどはその最たるものだが、まるで救援物資に群がり争う難民のごとく、「令和」の号外を群衆が奪い合ったあのシーン!いままでの日本人の仕業ではない。もう、金があってもモノが欲しいのではない。得たいのは精神生活の充実。しかもやっかいなことは、最近ではそれを〝皆んなでやりたい〟傾向がみられること。

▼楽曲のCDが売れないと音楽業界は嘆いているが、ネット配信やYouTubeのせいだけではない。最近、ライブだけはどこ会場も満員状態。一人で楽しむのではなく〝皆んなで〟楽しみたいのだ。号外を群衆が奪い合う様子をみて、眉をひそめた人も多かった。お行儀のいい日本人が何とみっともない!案の定、海外のマスコミも、日本人もこんなことをする!と食いついたが、そうではない。〝奪い合う〟というパフォーマンスを皆んなで演じて、楽しんだのだ。

▼「ノブレスオブリージュ(noblesse oblige)」という言葉がある。フランスが発祥だというが、欧米社会では「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」と基本的な道徳観になっている。日本人はいま、そんな道徳観に近づこうとしているのではないか。それを象徴するのが、まさに象徴天皇である平成天皇皇后両陛下。「象徴に相応しい行為」を実践してこられたことに、思想信条を超えて、日本人があまねく尊敬と感謝の念を抱いている。多くの国民がそれに倣いたいと思い始めた。皮肉にも〝身分にふさわしい振る舞い〟をしていない、現安倍政権が反面教師になっていることもあるだろう。

▼皆んなで一緒に、といっても、強いられるのではなく、あくまでも自主的、自然に「それが嬉しい、楽しい」と思って行動すること。それは「フラッシュ・モブ」が日本でも流行りだしたことと無関係ではない。

 

2019-4

安の字はなく和んだ、和らいだ!

▼「令和」(れいわ)が、5月からの新しい元号である。由縁、由来は万葉集からだとか。すぐに納得できる人、違和感がある人、様々だろう。依頼や選考の過程で、何らかの意思や忖度が働いていたら、容赦できないが、多くの候補の中から、衆知を集めて選んだ結果なら、それでいい。違和感があってもそのうち慣れる。予想のなかには「安」の字が多かった。どうせ〝唯我独尊〟の安倍くんなら、いまならやり得、やってしまえばコッチのもの、という懸念からだ。最悪は「安生」ってものあったが…。ただ「令」の字は意外だった。個人的には「和」が入ることは当てた。

▼ただし、「美しい」という形容詞に妙なこだわりをもち、さんざん言いながら「心を寄せる」ことがなかった安倍くんが、元号の意味として「人々が美しい心を寄せ合う文化が生まれ育つ」と得々と語る厚顔無恥さはどう?ところで、あんまり由来では明確に説明がつかない「令」。「命令」の令であるが、わが業界にとっては、条令(条例などの条文)の令につながる。関係自治体では、「令和元年」は改正市場法に基づき市場関連条例を改正(施行は令和2年)した節目の年になる。

▼何かを始める時は、「せえ~の!」といった掛け声や、〝心新たにする〟ことが肝要で、「形から入る」ことが非常に有益である。自分自身に〝命令〟するのだ。市場業界にとってもまさに、いいきっかけのスタートの年になる。「和む」「和らぐ」「和す」など「和」の字は、わが業界にも野菜の〝和え物〟があり親しい漢字だ。

▼今回は令和の始まりを前に、退位した天皇御本人に感謝の意を表し、慰労することができるし、同時に新元号を祝うこともできる。これまで新元号になる際は、常に喪中だった。円満な「譲位」であるのだから慶事である。その令和の始まりを10連休で、国民がお祝いする。が、青果物は西物の終わりと夏秋物の切り替え時期。産地も市場も、大変な思いで令和が始まる。

 

2019-3

業界は、法律は厳しい方がいい…と

▼かつて森実孝郎という農水省官僚がいた。最後は穀物商品取引所の理事長に天下ったが、わが青果業界では、伝説上の人物で、ある意味、恩人扱いだった。この人、今回、換骨奪胎されてしまった昭和46年施行の改正新卸売市場法の産みの親だ。業界が彼を神格化したのは、当時、官僚がビジョンを示し、積極的に業界振興した護衛船団方式の時代で、卸売市場かくあるべし、と業界は「ご神託」を賜ったからだ。

▼この法律や基本方針さえ守っていれば、市場業界は繁栄すると思わせた。実際、その後、20年あまり市場の取り扱い金額は増え続け、野菜の平均キロ単価が400円を超えるか、といった頂点まで昇り詰めた。だから市場業界は、市場法や条例を憲法と崇め、農水省市場課のご意向を仰いだ。われわれ業界紙誌は、国が何を望んでいるかを業界に伝達するのが役目だった。農水省に日参して市場課に入り浸り、自分自身も大いに勉強しながらネタを仕入れたものだ。

▼いま、改正市場法の周知徹底のために全国で辻説法行脚している卸売市場室の武田室長は、半世紀も前に存在した、市場業界の〝恩人〟と同様の位置にいる。同じく改正市場法の解釈を知らしめるためだが、違っているのは、今回は市場法信仰という呪縛からの解放である。どの説明会場でも、業界関係者たちが執拗に新しい基本方針や改正法の条文解釈をしようとしていることに、武田氏は違和感を感じるといい、もっと素直に受け止めてほしい、といった趣旨の話を繰り返している。しかし、若き農水省のホープ官僚は、森実孝郎氏と業界との〝師弟関係〟ともいえる関係性を知るべくもない。

▼業界は、実は法律に縛られることを嫌がっていない。建前としての法律や取り決めがあるほうが、商売は自由にできることをよく知っている。トランプがメキシコ国境に強固な壁を作ればつくるほど、〝建前として〟密入国はあり得ない、といえるのだ。

 

2019-2

基礎統計がないと日本人は悲しい

▼とりわけ日本人が愛してやまない「統計」が揺れている。海外の農業や流通現場の視察や取材で、いつも気が付くことは、外国ではあまり公的な統計数字が取られていないという事実である。その点、日本人は常に知りたがる。「全部で何トン?面積は?単価は?」などと質問するし、日本では公的なものなら当たり前に答えが聞ける。だから、公的な統計がない国だと「日本よりかなり遅れているな~」と思う。日本では、役所がきちんとした制度や法律に基づいて統計を取ってきた。役人はバカ正直のように決められた仕事をこなしている…。

▼そんな自信と自慢が一気に崩壊してしまう事態となった。信用すべき〝基礎的な統計〟が説明通りではなく、杜撰な方法で実施されていたというのだから、統計好きの日本人はとても困っている。役所も役人も統計数字も信用できない?なんと遅れた国なのか!憤懣やる方ないのだが、それ以上に、わが国の基礎データが正確であるという前提で、すべてのことが進行している点はどうなのか。文章の流れからすると、安倍政権がアベノミックスの効果を偽装するために指示した?それはないなら、役人が忖度したのか?

▼われらの業界でよく使われる「食料需給表」は農水省統計だ。疑い出せばきりがないが、かねがね、需給表はどこか信じられないところがあった。野菜類は「1日350g」摂取が望ましいといわれながら、イモ類は野菜類には含まれない別統計だし、イチゴやメロン、スイカは果実ではなく「野菜類」に分類されている。一方、ナッツ類は果実類だとか。食料需給表から算出した、年間1人当たりの野菜消費は350㎏を切っていて1日当たり260g程度。しかし、厚労省が毎年実施している「国民健康栄養調査」では、60歳以上の層は楽に350gをクリアしている。

▼その厚労省がアヤしい、といわれるし、需給表だって計算の根拠となる「国内流通量」を、国産は農政局単位で役人の目測で換算したり、輸入されるジュース類や調理品もすべて生鮮換算して計上している、といわれても信じられない自分も悲しい。

 

2019-1

新しい年に新たなスタートを心構える

▼亥年である。十二支の最後の干支。子丑寅卯と数え始めて、亥年にたどりつくまで結構かかるが、平成が最後の年ということと、みごとに符合する。一方、最後の年というなら次の年の始まりでもある。昭和最後の64年はたった7日間しかなかったが、平成は今年の3分の1。4月までのソフトランディング。次の元号の始まりが5月というのは、ちょうどいい助走期間だ。改正市場法に基づく認定に向けて、条例や規約等の作成作業も、今年助走に入る。これも終わりと始まりが重なる今年、否が応でも「市場とは何ぞや」という本質論を考えざるを得ない。

▼5月からスタートする新元号はともかく、平成の始まり数年は昭和の有終の美を飾るごとく前代未聞の好景気。それが暗転してのバブルが弾け、以降、長い長~い不景気のトンネルに突入。社会情勢や国際環境からの問題を突きつけられての防戦に必死で、主体性は消えた。〝失われた30年間〟ともいわれる所以だ。で、この平成が終わりを告げ、それに続く「ポスト平成」の時代に、われわれはどうしたら主体性を取り戻せるのだろうか。

▼反省すべきこと、新たに考えるべきことは山積みだが、大切なのは案外、物事に向きあう上での「心構え」なのかもしれない。たとえば、元号が変わることをどう捉えるか。むろん今は改元で歴史が動く時代ではない。だが、全く影響がないとわけでもない。世を動かしているのは結局、人だ。もしわれわれが、改元を「新時代の始まりだ」受け止めれば、判断や行動にも影響を与える。それによって、いつの間にかわれわれの在り方が大きく変貌する可能性もある。

▼社会科学の世界でも、物質的な指標だけでなく、そこに加えて「期待」というものが、重要な要素として認識されるようになったそうだ。〝精神力〟で何でも実現できるわけではないが、自分の心が変わらなければ、世界は変わらないのも道理。今年の前半戦、残り少ない平成という時を、新時代のビジョンを描くことに、充ててみたい。

 

 

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